つき子の日記

現実はうそもあるけど、ここは全部ほんとだよ

逃げて逃げて逃げた先に何があるのか

『辛い時は逃げていい』とか、『逃げたあとの責任をその人はとってくれない』とか、色々あるよね。

 

逃げた方がいいのか、逃げない方がいいのか、時と場合によるけど、迷ったら逃げて。それが私の考え。

 

私の友達は逃げなかった。高校に行かなくなってから、すぐに自殺した。普通高校に通うってことから逃げずに立ち向かった結果だと思った。昔から、行動力のある子だった。

同じ時、私は逃げた。学校からも、死ぬことからも逃げて、家に引きこもってた。親から怒鳴られた。死んだ友達のTwitterを見たら、その子も親から怒られていたみたいだった。私も友達も小学校時代にうごメモやってて、中学校時代では美術部だった。幼稚園も一緒だった。違かったのは、行動力があったかどうかくらいだった。

 

私はずっと逃げていた。中学で登校することから逃げ、部長から逃げ、普通高校から逃げ、車校から逃げた。それに、中学の頃からずっと今まで死ぬことからも逃げている。

私は友達のことを尊敬している。私は行動力がないから、今でも大きなことをやってのけてしまった友達が大きく見える。

 

それで、なんで私は迷ったら逃げたほうがいいと思うか説明しようと思う。所詮、逃げたって逃げなくたって最悪最後は同じなんだと考えてるからだ。友達は逃げずに死んだ。私は逃げて、今生きている。でも、限界を感じてる。限界すぎて、もう死のうとしている。

逃げて逃げて逃げた先にあるものと、逃げなかった先にあるもの、多分一緒なんだと思う。自分の限界。元々現代社会では生きていけない人類だから、少し寿命が伸びただけで、何にも変わらない。

 

だから、逃げるか逃げないか迷っている人は安心して逃げてほしい。あの時逃げたから……とか、あの時逃げなければ……なんて後悔一瞬たりとも思ったことない。

 

逃げても、逃げなくても、一緒なら今に逃げずに死んだ方がいいじゃん!って思うよね。私は上手くいかなかったけど、ダラダラ寿命伸ばすだけで、運が良ければ、熱中できること見つけられるかもしれないし、最愛の人に出会えるかも知れないと思ってる。

 

つまり、逃げる≧逃げないってこと。

 

逃げないって定義が曖昧かもしれないけど、逃げるか逃げないか迷ってぐちゃぐちゃになってる時の逃げないの選択って、最終的には死だと思う。私の逃げないの解釈ってそういう感じ。

 

逃げなかった先には死、逃げた先にも死。でも、逃げてる間に大切なものを見つけられる人もいると思う。そしたら、ラッキーと思って長生きしてね。

 

私は、逃げてる間新しい友達できたし、面白いバライティードラマ映画見れたし、1番好きなアーティストに出会えたし、美味しものもの沢山食べれた。でも、私の生きる限界は中学の時にもうとっくに来てて、逃げて誤魔化すのも限界になった。中学から数えると、5年。寿命5年伸ばした。十分だよね。

 

私がだらだら伸ばせた5年の寿命の中で、私じゃなかったら生きる理由、生きる術、を見つけられたかも知れない。

 

正直、逃げまくってきた私だから今回も死ぬことから逃げるかと思う。でも、心情的には本当の限界が来ていると思ってる。だから、今伝えたいことを書いた。

 

見返したら、全然私の思っていることが伝わらない文章だなぁと思ったけど、諦めた。

 

結局、私からしたら逃げずに死ぬより、逃げた先で死んだ方がお得かも知れないと思ってるってこと。あと、私は自分は死にたいけど、他の人が死ぬのは悲しいから、そういう思いもある。実際、友達のことは尊敬しているけど、悲しいとも思ってる。

 

私の中の矛盾が解決されないまま、文章を書いてるから、読み辛いと思う。でも、逃げるのが怖いと思ってる人に、生きてるうちに届けたいと思ったから。

 

みんな幸せになってね。